Vol.007・熊本豪雨災害活動メンバー

2020年の熊本県人吉地域の豪雨災害で動いたメンバーが当時を振り返り語ります。
県境地域のこと、コロナ渦での活動のこと。対談参加メンバーは倉崎保広(熊本)、岡部龍太郎(熊本)、今村公彦(熊本)、中西健太(熊本)、そして事務局長の前田敏康です。
熊本に宮崎のメンバーが駆けつける意味。
コロナ渦で、これからの活動をどう考えるか。
倉崎:まずは7月5日に、現地の状況を確認するために私ひとりで人吉方面に行ったんですが、渋滞で中に入れず引き返しました。それで岡部さんに連絡し、人吉の畳店さんに相談して。で、岡部商店のつながりをたどって清田畳店さん(人吉市)に出会うことができたんです。
前田:清田畳店さんは、このプロジェクトのメンバーではありませんでしたよね。でも倉崎さんはそのとき、地元の方に連絡をした方がスムーズに動けるという判断で、清田さんとコンタクトをとったと。
倉崎:そうですね。清田畳店さんも機械が水に浸かってたいへんな状態だったんですけど、協力していただけました。まず清田さんが窓口となって市役所に確認を取ってくれたんです。
7月7日は、清田さんと私と岡部さんで丸一日人吉をまわりました。最初に市役所・危機防災課でこのプロジェクトの趣旨を説明。現地調査という形で避難所をまわることの許可をもらいました。
最初に行った避難所は、人吉東小学校。小体育館などがあり、そこには古い畳や柔道畳に上敷きなんかを敷いて避難されている方がおられました。避難所運営の担当の方と打ち合わせをすると「畳を30枚ほど欲しい」とのことでした。次に中原コミュニティーセンター。かなり狭い所で、避難者の方が板の間に座っておられました。そこでも30枚ほど欲しいと聞き、この日は現場を後にしました。
コロナ渦の行動なので難しい面はありましたが、清田さんに市役所の方と関係を築いていただいたので、スムーズに現場へ行くことができました。それだけでなく、大変渋滞しているなか、裏道なんかも教えてもらって……清田さんがいたおかげで調査の時間を一日くらいは短くすることができたんじゃないかと思います。
今村:7月8日が畳の製作スタートでしたよね。11日には避難所に届けると決まりました。で、11日のお昼頃には届ける流れだったんですけども、人吉はホント山の中にあるんですよ。高速道路が通れないとまず行けない、という場所なんですが、高速道路の状況が出発直前まで分からなかった。11日当日の朝になってようやく通れるとなり、午前9時から中西さんと一緒に向かいました。無事12時近くには到着し、人吉小学校で打ち合わせ中の倉崎さんと合流しました。
倉崎:11日中に人吉東小学校・中原コミュニティーセンターへ各30枚ずつお届けしています。
岡部:今回、宮崎のメンバーにはとても助けられました。熊本のメンバーは県内の道を寸断されてしまって。幹線道路219号も通らず、JRも通らず。熊本のメンバーはなかなか動けなかった。
前田:そうですよね。でも、そんなときに都道府県単位の活動としてくくってしまわないところが、このプロジェクトの特長だなと思っていて。それに、人吉方面は同じ熊本県の北の方から行くよりも、宮崎から行った方が早い場所ですもんね。少し話は変わります。市役所からコロナ禍だからこういう動きをしてくださいっていう要望のようなものはありましたか?
倉崎:避難所では受付があって、そこで検温・消毒。それと来訪者の名簿ですね。名前と住所を書く欄がありました。
今村:手袋をして畳を運ぶこともやりました。
前田:最後に、コロナ禍におけるこのプロジェクトの活動、どういうところに気をつけていけばいいと思いますか? 今回で感じられたことがあれば。
今村:人吉東小学校の体育館では、入り口で靴を脱ぐことなく畳を置いて、それを中の方たちが運ぶ、という流れでした。自分たちが中まで持って入るのではなく、入り口に置く。お渡ししてからは地域の方にお任せした方が、お互いに安心感があるのかなあ、という気がしました。
前田:そうですね。このプロジェクトとしては中まで入って畳を敷く、とういことをルールのようにしているけれど。コロナ禍では入り口で引き渡しをした方が…
今村:「そういう形にした方がよろしいですか」と一度お伺いを立てる、とか。もし地域の方の人数が足りていないようなら、中まで入っても構わないですかと聞いたうえで、なるべく避難されている方と会わずに畳を敷くとか。
前田:接触を減らすってことですよね。
今村:はい。それは心がけた方がいいと思います。中まで入って置いてほしい、敷いてほしいと言ってもらえるのであれば、こちらとしてはやるのが当然だと思うんですけど。色々な面で確認といううものは必要だと感じました。
前田:ありがとうございます。
今村:あ、ちょっといいですか? 中西さん、ね、実は当日、ちょっとたいへんだったんですよね。
中西:いや、あの…。当日、畳を車に積み込んで、よし行くぞって時に、ウチの祖母が亡くなったんです。どうする?どうする?って、しばらく家族とあたふたしてたんですけど…。結局、婆ちゃんやったら「行ってこんか」って言うやろなって。で、朝の8時頃に都城を出て今村さんと合流したんです。けっこうドタバタの日でした。忘れられない日になりました。
前田:そうだったんですね。いや、何というか、あの…中西さんのお話を聞くと…うーん…。 やっぱり畳店みなさん、スゴいですよね、ほんと。優しいし、強いし、ね。
中西:婆ちゃんに背中を押されたような気がしたんですよね。ほんとにいろいろと応援してくれた婆ちゃんだったので。
(対談:2021年8月)
あとがき
『こんなときだからこそ』
コロナ禍で活動が制限されています。
災害時には出来る限りの感染予防をして活動しますが、いざというときに備えた訓練など平常時の対面活動はほとんどできない状況です。
でも、こんなときだからこそ。
それぞれの土地で長年顔を合わせてお仕事をさせて頂いてきた地域とのつながり、世代間のつながり、仲間同士のつながりが活きてくると考えています。
にわかの情報では行き届かないところへ、そういったところへこそ全国の仲間達と。
代々と受け継いできた誇りや使命感にも背中を押してもらいながら。
(事務局長・発起人 前田敏康)


